ネットでやりたいことは見つからないという話
先日、こんな日記を書きました。
書きたいことを書きまくった結果、後から見返すとSNSを痛烈に批判しているな感じていますが、後悔はない。
そして、今回もそんな切り口になっちゃいました。
「ネットでやりたいことを見つけるのって本当に難しいよな」
最近こんな風に思う。
ネットを通じて、目に入る情報が「やりたいこと」かどうかは、やってみないとわからないということに気付いていないことが多い。「やってないけど、実際にやった気分になっている」これに尽きる。
自分の成功する姿を想像するより、実際に成功した人の動画を見る方がラク。こんなふうに思ってしまいがちだよな。なんか疲れるし。
ネットで目に入る情報は、いかに目を惹くコンテンツに仕立てていくかが勝負。何気なくスマホを開いている人たちの頭を刺激できるか。
有名な投資家がショート動画で言ってるけど、とにかく行動してるやつが成功する。ぶっちゃけ、それを観てる時がやる気のピークだったりする。ただスマホを観てるだけなのに。
集中して取り組んでいた後の心地よい疲労感、ワクワク感を感じながら過ごす期待感など、そのやりたいことから得られる感情は、実際に行動に移した結果だと言える。
やってみて楽しいことをネットで調べて、よりその楽しさを知るっていうのが、本来のネットの使い方なのかもな。
ネットにやりたいことは書いていない。書いてあることを行動に移して経験した人だけが、本当にそれがやりたいことなのかどうかがわかる。
やってみないとわからないから、結局ショート動画で成功した人が言ってる「とにかく行動しろ」は間違っていない。
行動しろと言ってる動画をずっと見ちゃう人、ネットでやりたいことは見つからないよ。
SNSに数十年触れてみて思うこと
・mixi
・LINE
ノートパソコンでネットの世界を知り、今ではスマホでいつでも世界と繋がれるようになった。
今ではその世界に数十年入り浸っていますが、間違いなく、まごうことなき「SNS中毒」になっているという自負があります。
気がつけばインスタでリール見てるし、YouTubeで動画見てるし、LINEの通知が常に気になるし・・・。
そんな中毒者であるが故に思うことは「自分はゾンビだな」ということ。
このことを自覚したのは、InstagramやYouTubeのショートムービーが出始めてきた時、気づいたら30分、1時間と時間が過ぎていた。
その間、脳死。頭が働いていた記憶がない。
その後に襲ってくるのは反省のない後悔。
学生だったらいくつかの問題は解けただろうなと自分にイラつく。イラつきながらスマホを見る。のループを繰り返す。圧倒的虚無感。
元からないやる気だが、やる気がなんなのかも分からなくなる。
SNSへの依存が高まっていくと、もはや何がやりたいのかもわからなくなってくる。画面の向こうのキラキラした生活と今の自分を重ねて凹む。
どうしたらやりたいことが見つかるかわからないから、SNSで探し始める。全然見つからず焦りながらも、スマホを見るのがやめられない。またもやループ。もはやネット世界を彷徨うゾンビ。
そんなゾンビが、SNSについて思うことを書いてみました。
まだスマホを手にして数年の、ネットの世界でまだゾンビになっていない健常者が見てくれていると嬉しい。こんなゾンビにはなってはいけない。
どうしたらゾンビにならずに済むか、その方法はこれから自分で探してみてほしい。
早く人間になりたい!
失敗はマリアナ海溝より深いかもしれない話
仕事で割と重めな失敗をした。
社内の人たちは笑って大丈夫と言ってはくれたが、失敗は失敗。気分が晴れずにその日はすぐに帰った。
みんなに感謝しなきゃいけないのに、どうにも心は内向きになっていて人の話を聞く余裕がない。
そんな失敗に関することをただ考えていく回となります。
結論は「失敗って海でもがいているのと同じじゃね?」です。
すぐに忘れられる失敗ならいいけど、そうでない失敗ってありますよね。
てか、すぐに忘れられる失敗はそもそも失敗なのか?と疑問に思う。
切り替えが早い人?というよりか、「まあいっか」と流せる人。
失敗を楽観的に見つめて前に進める人は、本当にメンタルが強い人なのだと尊敬する。
本当はものすごくへこんで傷ついているけど、それを表に出さずに消化できているってことなのか?
ここでいう「まあいっか」というの人は、それを失敗と思わず普通に過ごせる人。ということで、失敗することが怖いんじゃなく、失敗していないことにしようというマインドへ持っていける人だと勝手に思っている。マジ尊敬。
自分はというと、このマインドは持ち合わせておらず、結構へこむタイプ。
へらへらしていた時期もあったが、全然へらへらできていなかったらしい。見ていて分かりやすいよねと言われたことがあるので、無理に取り繕うことはやめた。
へこんでいいならその姿をそのまま見せてやるよってスタンス。
失敗しないように過ごしていても、なんだかんだ失敗はする。
そして、失敗したことで出てくるやりきれない感情って、日が経つと薄れることもあれば、今現在も思い出したくない時にもある。
そんなこんなで過ごしているうちに、失敗って海でもがくことに似てるなと思うようになってきた。もがき苦しみ、ちょっと浮上してはまた沈み、気づいたら舟の上で休憩していた・・・。という段階もあると感じている。自分の主観なんですけど。
一つ目は初期段階。失敗した直後に感じるあのいやーな感情。やってしまった、もう消えてしまいたいと思う気持ち。この感情に深く潜りすぎると、浮上できずそのままトラウマになることもあるんじゃないのかな?ここを冷静に対処できる人や、そもそも自分は悪くないやーって思える人のメンタルにはまだまだなれない。
二つ目は失敗して数日後。深く潜っていた負の深海から浮上できそうな心持ちが生まれる。ちょっと呼吸できるかなと思って外の空気を吸う、また海の中へ引きこまれての繰り返し。呼吸ができる分少し気持ちが軽くなっている感じがある。
三つ目は立ち直り段階。呼吸している途中に舟を見つける。必死にしがみつき、舟に上がる。船上から初めて海を見る。なんとおぞましいのか、はたまたちっぽけなのかは人それぞれ。今までの出来事や感情を客観的に見つめることができる。ここで初めて失敗から反省へ進めることができると思っている。
こう考えると、失敗を引きずって前に進めない時は負の海でおぼれているんだろうな。
でも、海の中で死ぬほどもがき苦しむってことは決して悪いことではないと思う。もがいていくと、その中でどう泳いていけばいいかとか、余計に沈んでいくだけだなとかってことが分かってくることがある。
きついことがあったら逃げた方がいい場合があるけど、どこかでまたこの失敗という海に入らなければいけない時ってあると思う。
一回逃げてしまうと、そこは危ないところだから入っちゃだめだと、かつての自分自身から警告を受けることになるだろうな。
その海が命の危険なのか、成長の場所なのかは、一回もがいてみないとわからなかったりする。
せっかく入った失敗の海なので、死ぬほどもがいてやろうと思います。
ととのう場所がない→もはや修行
サウナでしっかり汗を出し切った後、キンキンに冷えた水風呂へ。
呼吸が冷たくなってきた。そろそろ上がって外気浴するかー。
「え・・・イス全部埋まっとるやん・・・」
最近この状況多くないですか?
この時の絶望は、地獄より地獄。
身体はふらついて早くととのいを求めているのに、座る場所がないこの最悪の状況。
休憩したいのにできない、もはや修行。
地獄で彷徨う亡者のよう。
仕方なく露天の石や浴室の縁石に座る。石の上にも三年なんて言葉があるけど、いやいや風邪引くんだが・・・って話。
最近のサウナブームはすごい。
自分もそのブームに乗っかっている1人だが、浴場に人が多いと落ち着かない。
サウナにはまったきっかけは、原田泰三主演の「サ道」を見てサウナに入ってみたいと思ったからだ。
後輩にいろんな場所に連れていってもらい、苦しいながらも頑張って入り続けた。
水風呂に肩まで浸かれるようになった時、気持ち良すぎて死ぬかと思った。
こうして「ととのうこと」を覚え、て一人でも通い始めた。
いろんなサウナに行くにつれ、人が少なかったり、ととのいイスが多い場所のほうが快適だと感じるようになり、「ととのうこと」を追い求めるようになっていった。
うるさい、イスに座れない・混んでいる。等々。
こんな状況ではサウナに入る意味がないのでは?とさえ感じる。
・・・いやまてよ?
確かサ道だったか?「サウナを信じるな」と蒸しZが言っていたのを思い出した。
そもそも「ととのうこと」を目的にしているから悩みが生まれてしまうのではないだろうか。
サウナは「ととのう」場所じゃない。あくまで身体を休めてリフレッシュする場所。
浴場が混んでいると、「下段しか空いてなくてがっかり」「水風呂で浮けない」「外気浴で座れなかったらどうしよう」と、いらんことばかり考え込んでしまっている。雑念が生まれる。
「ととのうこと」に固執しすぎている。
これが良くない原因だった。
幸せを追い求めて逆に不幸になっているような、そんな感覚なのかもしれない。
サウナを信じるな。ここにきて言葉の真の意味が理解できたような気がする。
ととのう場所がないことは修行と愚痴り始めた今回の日記だが、それは違ったみたい。修行ではなく、勝手に「苦行」にしていただけだった。
ととのうことを気にせず、身体を休められるように自分で考えていく。ただ何も考えず、リフレッシュできる状態に持っていけるようにする。
どんな状況でも身体を休められるよう、これからも「修行」していきます。
何もしてないのに疲れる→原因は「マルチタスク」です
・なぜか疲れが取れない
・もやもやして休んだ気になれない
・考えすぎて気づいたら疲れている
挙げたらキリがない、心身の「心」の疲れですが
原因は「マルチタスク」だと考えています。
身体は元気な感じだけど、どことなく疲労感が抜けていない気がする。というのはよくあること。
こんな人は、おそらく頭でいろんなことを考えすぎているんだと思う。
考えていることが意識的なこともあれば、無意識なこともある。
意識していることって、自分自身で自覚できるからまだ良いけど、無意識とは一体なにか?
それは「スマホ」だと考えている。
スマホは無意識に開いてしまう。SNSやYoutubeを見てしまう。なんとなく手持無沙汰だと、ついつい見がち。
適度に使う分には問題ないが、気づいたらスマホ依存症になってしまう。常にスマホを見ていないと気が済まないってことはない?
こうして無意識にスマホのことが頭に入った状態が続く。
どっかのバンドが「スマホはもはや俺の臓器」と叫んでいたが、まさに臓器。
そんなわけあるかよとバカにしていたが、本当にそうだわ。ないと生きていけない気がする。
勉強中や仕事中でも常にスマホが気になる。集中できなくなる。別に一つのことしかやっていないように見えて、無意識にスマホが気になってしまう。これは立派な「マルチタスク」ではないだろうかと思う。
もちろんスマホ以外にもマルチタスクが行われることは多い。それは人それぞれだし、個々の在り方にもよる。
料理しながらテレビ見たり、メール打ちながら電話に出たり、テレビ見ながら課題やったり。
いわゆる「~しながら」ってやつ。
そして、何か二つのことを同時にやっている、行動しているだけがマルチタスクではない。頭で考えている状態も立派な行動だと思う。むしろ、身体を動かさないで頭だけで考える事柄が多くなればなるほど、脳は疲れてくる。
これらって、何気なくやっているように見えて、意外と脳はエネルギーを使っているんじゃないのかなって話。
ついついやってしまいがちだけどね。
これが癖になると、一つのことをやるときに他のことが気になって集中できなくなってしまったりするんですよね。
やっぱり原因は「マルチタスク」じゃね?って思うわけです。
マルチタスクをやめてみると、脳がすっきりするかもしれません。
できれば、一つのことしか集中できないことをやってみるとか。
運動やサウナがリフレッシュできるのは、むしろマルチタスクができない状態に無理やりもっていけるからっていうことなのかも・・・しれませんね。
サウナの熱い空間で仕事のことを考える余裕はまずない。多分「熱い、早く出たい」しか思えないから。「一つのことに集中している」状態が強制的に作れているからなんじゃないかな。
行動力をつけるためには、目標を決めることが大事という話
やる気がでない。
気づいたら1日が終わっていた。
まさに自分のことである。
行動できるようになる系の本を手当たり次第に読み漁っているが、どれも自分には合わないなと諦めてしまっている。
そもそもやる気が出ないからとやらない理由を探しがち。
今回はそんな自分に向けて解決策を考えていこうと思う。
先に結論を言うと「目標を明確に決める」ということについて考えていく。
なぜ行動できないのか。
なぜやる気がでないのか。
やりたいことが見つからない。
自分と同じような境遇の方も、この記事を読んで何かのきっかけになればうれしいです。
小学生から教えられる、「目標設定」。
これが自分はかなり苦手で、ずっと避けて通ってきた言葉。
見るだけで嫌になる。
行動を縛られている感覚があって、自由が制限されている不信感。
幼少期から、純粋にその目標を決めることができずひねくれていた。
そんなひねくれを抱えながら30代になり、気づかされた。
「目標があるから行動できるんだ」と。
行動するって結構エネルギーを使う。
エネルギーは、使うほどに疲れてくる。
それならば、なるべくエネルギーを使わず行動したいと思う。
楽に、簡単に行動したいと思うようになる。
こうなると、何も行動しないのが一番コスパがいいと思えてくる。
行動せず楽で楽しいことは何かと探し出す。
YouTubeやインスタなど、行動せずとも楽しめるコンテンツが一番コスパがいい。
この味を占めてしまうと、以前のアホみたいに頑張ってたのはなんだったんだという気分になる。
あの頃はやる気に満ち溢れていたのかなと考える。
こうして、「やる気が出ないから行動できない」という言い訳が完成する。
ここから脱却するにはどうしたらいいのだろう。
まずはやる気に頼ることをやめてみるのはどうだろう。
「この人やる気があるなー」と感じる人をよく見てほしい。
その人は、最初からやる気があったわけではなく、行動していたら次第にやる気が出ている人が多いことに気づく。
一瞬だけを切り取ってみていると、あたかも最初からやる気があるように見える。
でも、よく観察するとそうではないことが多かったりする。
ここで、やる気以外に行動に移す言い訳として「目標設定」があると考えている。
「こうなりたいからこうする」
「こうしたいからこうする」
シンプルな考え方だけど、言葉にするとなんだか重みがましてしんどい。
それは、一回目標にすると変更できない、何か生き方を決められているような感じ。
さっきも言ったけど、縛られている感じ。
でも、そもそも自分の楽しいことを見つけられていないのは、楽をして行動していない自分なんじゃないの?
楽しいことや面白いことはいくらでもあるけど、実際に行動や経験をしてみないと本当に見つけたって言えないじゃね?
ということで、話しがかなり脱線してしまいましたが、まずは「目標を明確に決める」。
これが行動できるようになる第一歩だと思っています。
目標なんてテキトーでいいんですよ。
当たり前のことを目標に決めてもいい。
すぐ達成できそうな目標でもいい。
目標は一日単位で変わってもいい、まずは「これをやる」と決めて行動すること。
今日の自分の目標「ブログを更新する」が終了したので
大好きなサウナに行こうと思います。
大したことしてないのに
一仕事終えたみたいな、偉そうに達成感味わっちゃってます。
目標を達成するのも悪くないね。
休みの次の日、会社に行きたくない現象
連休終わりに来る、言いようもない感情。
「次の日会社にいきたくない」
おそらく働いている人の100%が感じているこの感情。
おかげで日曜日の午後から何をやっても楽しくない。
気晴らしに買い物へ行っても、移動途中にスマホを見ながらふと「明日会社だわ・・・」なんて想像してしまったら最後、全然気晴らしにならない。
そんな人が多いのではないだろうか。
私もその一人で、妄想の中で何回会社を爆破してきたことか。
何回爆破しても、次の日寝て起きたら会社はきちんと元通りになっていて
無感情のまま出勤している。あゝ無常。
そんな私が日ごろやっている、苦し紛れの解決策が3つあります。
お金がかからずにできることなので、本当にやることがない方は参考になるかもしれません。
1・運動する
結局これが一番効果があった気がする。
具体的にこれをしろっていうのはないけど、基準としては「今から10分間できついなと思った運動」
こんな簡単な決め方で問題ないと思う。
例えば、10分間で家の周りのジョギング、なんて感じでもいいと思う。
私はそんなこときつすぎてできないので、2分間全力で腹筋している。
この全力でやってる時、会社に行きたくないって考えてやってますか?
おそらくそんなこと考えている余裕ないと思うんですよね。
この「何かを全力でやって無理やり頭から消す」っていうのが、運動の一番の効力だと思っています。
デメリットは、し終わって疲れた後、またふと会社生きたくない志向に戻ってしまうことがあります。
それを見越しても、運動はやって損はないと思う。
2・文章にひたすら書く
今まさに自分がやっていることなのですが(笑
どうしようもないときは殴り書きでもいいので、思ったことを書くといい。
手書きでもいいし、スマホで打ってもいい。
不安な気持ちとか、普段言えない上司への暴言なんかを書いちゃうことで少しだけ気持ちがすっきりする。
文章にすることで、自分は一体何に不安になっているのかがふと見えてきたりする。
それは解決できなくても、何かしら言葉として残すことは別に意味のないことじゃないと思う。
誰に見せるでもない日記に、思いの丈をぶつける。こんなことで気持ちがふっと軽くなるなら試してみて欲しい。
3・瞑想
いわゆる「マインドフルネス」ってやつです。
こんなことで会社に行きたくない感情が消えるかよって思いますよね?
いや、確かになくなりません。というよりも、むしろ行きたくない気持ちが増幅するかもしれません。
「そもそもスピ系はうさん臭くて気持ち悪い」
こんな風に思っている方も多いと思います。確かにその通りなんですよね。
自分も半年瞑想を毎日5分やっていたんですけど、効果があったかというと
明確にあったとは言えないかなあと思っています。
しかし、まったくなかったかというと、そうではありませんでした。
気持ちがすっきりすることはないのですが
「会社に行きたくない気持ちはありつつも、不思議と落ち着いている」
こんな気持ちにはなります。いや意味わかんないですよね(笑
だまされたと思って5分だけでもやってみてください。
こんな犬も食わないような話しを最後まで見てくれた方、本当にありがとうございます。
今後も暇つぶし程度の内容を投稿していきます。よかったら他の記事も見ていってくださいー!