ととのう場所がない→もはや修行
サウナでしっかり汗を出し切った後、キンキンに冷えた水風呂へ。
呼吸が冷たくなってきた。そろそろ上がって外気浴するかー。
「え・・・イス全部埋まっとるやん・・・」
最近この状況多くないですか?
この時の絶望は、地獄より地獄。
身体はふらついて早くととのいを求めているのに、座る場所がないこの最悪の状況。
休憩したいのにできない、もはや修行。
地獄で彷徨う亡者のよう。
仕方なく露天の石や浴室の縁石に座る。石の上にも三年なんて言葉があるけど、いやいや風邪引くんだが・・・って話。
最近のサウナブームはすごい。
自分もそのブームに乗っかっている1人だが、浴場に人が多いと落ち着かない。
サウナにはまったきっかけは、原田泰三主演の「サ道」を見てサウナに入ってみたいと思ったからだ。
後輩にいろんな場所に連れていってもらい、苦しいながらも頑張って入り続けた。
水風呂に肩まで浸かれるようになった時、気持ち良すぎて死ぬかと思った。
こうして「ととのうこと」を覚え、て一人でも通い始めた。
いろんなサウナに行くにつれ、人が少なかったり、ととのいイスが多い場所のほうが快適だと感じるようになり、「ととのうこと」を追い求めるようになっていった。
うるさい、イスに座れない・混んでいる。等々。
こんな状況ではサウナに入る意味がないのでは?とさえ感じる。
・・・いやまてよ?
確かサ道だったか?「サウナを信じるな」と蒸しZが言っていたのを思い出した。
そもそも「ととのうこと」を目的にしているから悩みが生まれてしまうのではないだろうか。
サウナは「ととのう」場所じゃない。あくまで身体を休めてリフレッシュする場所。
浴場が混んでいると、「下段しか空いてなくてがっかり」「水風呂で浮けない」「外気浴で座れなかったらどうしよう」と、いらんことばかり考え込んでしまっている。雑念が生まれる。
「ととのうこと」に固執しすぎている。
これが良くない原因だった。
幸せを追い求めて逆に不幸になっているような、そんな感覚なのかもしれない。
サウナを信じるな。ここにきて言葉の真の意味が理解できたような気がする。
ととのう場所がないことは修行と愚痴り始めた今回の日記だが、それは違ったみたい。修行ではなく、勝手に「苦行」にしていただけだった。
ととのうことを気にせず、身体を休められるように自分で考えていく。ただ何も考えず、リフレッシュできる状態に持っていけるようにする。
どんな状況でも身体を休められるよう、これからも「修行」していきます。